代表挨拶
和ハーブに突き動かされた“私の日本”
私は自然豊かな神奈川県鎌倉市に育ちました。しかしながら、和ハーブ協会を立ち上げるまでは道端のヨモギも見分けることができない、まさにド素人中のド素人でした。
そんな私がなぜ今、日本の植物とその有用文化を広める中心にいるか、そしてそれを人生のミッションとしているのか、をお伝えしたいと思います。
私は2005年に、4000年以上の歴史を持つと推測される、ヨーガ行者が行っていた自己整体法「ルーシーダットン」を日本に導入し、短期間で広めることに成功しました。以降、その腕を買われ、予防医学や世界の伝統医療などに関わる仕事の依頼を受けるようになりました。
そんな中、初めての和ハーブへのインスピレーションは2006年の春。ルーシーダットンの大阪講演に向かう新幹線車中、ひとつの雑誌が私の目を釘付けにしました。そこには、岐阜県と滋賀県に跨る“薬草の聖地”伊吹山が20ページに渡って特集されており、数十種類におよぶ和ハーブやそれを活用して“和のアーユルヴェーダ・ライフ”を送る、山麓の人々の生き生きとした写真が掲載されていたのです。前記したように植物には何の知識もなかった私でしたが、知られざる日本の足元の植物文化への強い魅力を感じ、持ち帰り可能であったその雑誌を大切に鞄にしまい込んだのです。
そして2008年、沖縄在住の著名な植物研究家の女性から、私のところに依頼がかかりました。それは「忘れられつつある沖縄の土地の知恵、おじい・おばあの薬草文化を、古谷さんがプロデュースすることで復活させられないだろうか?」というものでした。
文化をプロデュースするとは大きな話でしたが、業界を調べれば日本ではハーブやアロマテラピーがブームを迎えつつあり、その使われる植物の種類やそれを活用する方法論は外国由来のものがほとんどでした。
一方、もらった資料にある琉球ハーブたちは諸外国に負けない魅力を醸し出している。そして私は2年前の新幹線の雑誌を思い出し、本棚を漁って誌面を開くと、再び日本のハーブ村の記事に釘付けになったのです。
「これは沖縄だけの話ではない。多くの日本の人たちが植物の素晴らしさ、使い方などに気づいているのに、なぜ足元の宝物たちに目を向けないのだろうか?」
私は日本の有用植物たち、そしてその文化に『和ハーブ』というネーミングを思い立ちました。そしてそれを “プロモーション”し、日本の未来に伝えていこうと決心したのです。
その後、2009年10月の協会立ち上げに向け、植物の素人の私はあらゆるジャンルの植物の専門家に協会のビジョンとコンセプトをお伝えし、ご協力を快諾していただきました。
協会発足後は、北は北海道のアイヌの森から、南は沖縄の離島まで足を伸ばし、日本の多様で豊かな植物たち、その自然の循環における役割、あるいは日本人と植物の関わりの歴史について、深く知ることに全力を傾けてきました。協会主催の散策講座では、参加者を押しのけるように講師に質問を投げかけている代表の奇妙な姿は、皆様にさぞ奇異に映っていたでしょう。
そして今では嬉しいことに、ハーブ/アロマテラピー業界のみならず、日本由来の植物をテーマにした様々なムーヴメントが起きつつあります。
突き動かされる思いで、植物の素人だった私が協会を立ち上げ、私なりに必死に日本の植物、そして植物を取り巻く人々と対話してきて気づいたこと。それは“植物の民族”である日本人の人生に寄り添ってきたハーブに目を向けることは、“日本人の人生の歴史”そのものを学ぶことでした。
日本は今、様々な分野でそのアイデンティティを失いつつあります。いや、私たち人間一人一人が、生物としてのアイデンティティを脅かされていると言っても過言では無いでしょう。
現代と未来の日本人が、過去の日本人を支えてきた植物たちと、その素晴らしい知恵と文化すなわち「Tribe-technology of Japan」に触れる時、日本人がその本来の素晴らしさ、強さを取り戻し始める時だと確信します。
一般社団法人 和ハーブ協会
代表理事
古谷 暢基