古谷 暢基 〈Masaki Furuya〉
一般社団法人和ハーブ協会 理事長
国際補完医療大学 日本校 学長
日本ルーシーダットン普及連盟 代表
日本ダイエット健康協会 代表理事
日本入浴協会 理事
2006年の春
その頃日本に広まり始めていたアーユルヴェーダの運動療法「ルーシーダットン」の初の大阪講演に向かう新幹線車中、ひとつの雑誌が私の目を釘付けにしました。
そこには、岐阜県と滋賀県に跨る伊吹山が20ページに渡って特集されており、数十種類におよぶドライ和ハーブ、そしてそれを活用し、まさに“和のアーユルヴェーダ・ライフ”を送る山麓の人々のいきいきとした写真が掲載されていたのです。
インドやタイの健康文化啓蒙に勤しんでいた私は、足元の日本文化の未知なる領域に衝撃を感じ、
持ち帰り可能であったその雑誌を、大切に鞄にしまい込みました。
時は経て2008年の夏
今度はルーシーダットン沖縄支部を訪ねた折に、地元でも著名な植物研究家から
「あまり知られていない沖縄のハーブの知恵を、日本全国の人達に発信できないだろうか?」
との相談・依頼を受けました。
その刹那、「琉球ハーブ→和ハーブ→足元の再発見」の思考の流れが起こると同時に、二年も前のさりげない新幹線車内誌の記憶が、電撃的に私の脳裏に甦ったのです。
本棚からほこりのかぶった当時の雑誌をひっぱり出し、それを片手に“飛び込み”で伊吹山を訪ねたのは、それから半年ほどあとのこと。
温かく出迎えてくれた日本随一の和ハーブエリアの人たち、その山麓で私は、知られざる日本の宝との出会いへの高揚感と同時に、大きな危機感を抱き始めました。
その二つの感覚が、“日本の基本的な伝統の知恵の掘り起こしと次世代への継承”という、ひとつの文化事業への使命感へとハイブリッドしたのです。
和ハーブ・プロジェクトをスタートさせて、改めて気づいた3つのこと
1つ目は、人は植物なしでは生きられず、日本人の生活・文化・健康の全ての分野において、和ハーブなしでは成り立ってこなかった歴史。
すなわち、“和ハーブ”を知ることは、“和”そのものを知ることでした。
次に、この日本の失くしてはならない知恵は、昭和初期より以前に生を受けた方々の多くは自然と身についており、しかしそのすぐ下の子どもたちへの世代への継承がほとんど成されていない現実。
和ハーブ文化は、明確な世代間断絶が起こっていました。
最後に、“和ハーブ生活”を未だに実践している、今は数少なくなってきた人たちの、心身の底からあふれ出てくる元気さと、人生への迷いの無さ。
この目に見える明らかな事実を含め、あらゆる意味で和ハーブの復活は日本の幸せ度数を高めることへの確信でした。
その後も当協会の講座にご参加くださる皆様や、和ハーブの社会事業にご興味をお寄せいただける企業・団体様が、いちように口にするお言葉、それは“未知なるものへの気づきと衝撃”です。
「初めて知った、本当にびっくりしました」、「今日は素晴らしい気づきに出会いました」、そして「頭をガツンと殴られた衝撃がありました」など。
もっとも近くにあるはずのものなのに、これらの一見大揚な言葉が出てくるのは、ひと昔前は当たり前であったはずの“すぐ足元の恵み”の活用法が、今では遠い存在になっていることへの証明でもあります。
「和ハーブ検定」の受検をはじめ、多地域・多世代の皆様が当協会のさまざまな活動にご参画くださり、素晴らしい日本の文化と宝物を一緒に引き継ぎ発展させるため、お力を貸していただければ幸いです。